« 2007年12月 | トップページ | 2008年2月 »
*~*~* モンレアーレ *~*~*
モンレアーレはパレルモの町から南西方向へ8km、標高310mの
カプート山の上に建てられた町です。
パレルモ、ノルマン王宮の側の広場からバスで出かけました。
街は非常に小さく静かですが、パレルモを訪れた観光客(私も)の
多くがここモンレアーレに訪れるため観光客で賑わっています。
ドゥオモ(カテドラル)
1174年グリエルモ2世に
よって建てられたものです。
←建つ塔の左右の高さ
大きさが違っています。
左の塔が未完成の為
左が低くなっているそうです。
左右の塔を繋ぐように柱廊が有るのも珍しく、
クーポラにはこちらを通って登りました。
ビザンチン式の輝く黄金のモザイクがとても素晴らしいです。左右の
壁面には連続した旧約、新約聖書の物語が其々描写されています
キリストを中心に聖母、天使、使徒、聖人などが描かれ、中央の
キリストの存在感は素晴らしく凄く強烈に心に残りました。
たった2年で完成されたとは驚きです。一面の黄金のモザイク画に
圧倒され暫し佇んでいました。
←クーポラの上に登る事が
出来ます。
人がすれ違うのが出来ない
程の狭い通路と急な階段
でも登る価値十分な
素晴らしい眺望が・・・
眼下にモンレアーレの町だけでなく
パレルモ市内、その先の地中海まで
見渡す事が出来ます。
ベネディクト会修道院の回廊付き中庭はグリエルモ2世により建てられ
中庭には228本の円柱によってアーチ状の回廊に囲まれています
円柱は一本一本モザイクで装飾されており、とても綺麗です。
円柱の柱頭の模様も全部違っていて、素晴らしい!
現在は傷んだ円柱も有りますが、建設当時を思い浮かべると
さぞかし華やかな回廊だったろうと思います。
→回廊の片隅で見かけた不思議な柱?この円柱はシュロの木をイメージ
して造られたものだそうです。
←ドゥオモの上に見えるクーポラ、あそこまで登りましたよ~
ご訪問ありがとうございます。
1クリックの応援いつもありがとうございます。日々の励みになります。
にほんブログ村
*~*~* 神戸異人館Ⅱ *~*~*
前回の続き、ぶらり異人館散策です。
お気に入りの異人館「萌黄の館」へ出かけました。
「萌黄の館」は明治36年(1903)に
アメリカ総領事ハンター.シャープ氏の
邸宅として建築されました。
木造2階建て、下見板張りの異人館で
2つの異なった形のベイ.ウインドウー
(張り出し窓)を始めアラベスク風模様が
施された階段、重厚なマントルピースなど、贅沢な意匠が随所に見られます。
1944年に小林秀雄氏の(元神戸電鉄社長)の住宅に成りました。
1980年国の重要文化財に指定、白い異人館と呼ばれていましたが
1987年修理で建築当時の淡いグリーンの外壁に復元され、この名が付け
られました。(萌黄の館、案内書より抜粋) (写真は全てクリックで拡大します)
←居間 ↑応接間 ↑書斎 →子供部屋
各お部屋のクラシカルなタイルの暖炉が凄く素敵でした。
←幾何学模様のプレームが美しいベランダは神戸港まで見渡せる
素晴らしい眺望です。 →落下した煙突
1995年の阪神淡路大震災で3本の煙突が全て落下する大きな
被害が有りました。この煙突は西側の煙突でこのような状態で
庭に突き刺さっていたそうです。地震の激しさを後世にに伝える
ために当時のままの状態で保存されています。
異人館の周りは坂道も
多いです。
歩きなれたお履物でどうぞ!
*-*-*-*-* 阪神淡路大震災 *-*-*-*-*
1995年1月17日午前5時46分、あれから丸13年今年も被災者は
其々の思いを胸にこの日を迎えます。
東遊園地では被災者や遺族が1.17の形に並んだ約7000本の竹灯籠
に点火、地震の起きた午前5時46分に合わせて参列者が黙とうを捧げ
追悼モニュメントに献花します。(1.17希望の灯)
地震の恐ろしい記憶は生涯消え去る事は無いでしょうね。
遠くで燃え盛る真っ赤な炎が、今にもこちらへ届きそうに思えて・・・
震災後の不自由さも身にしみています。
其れなのに最近は防災グッズも疎かになり反省しています。
神戸港震災メモリアルパーク
メリケン波止場に面し、阪神淡路大震災の悲惨さを今に伝え震災で
壊滅した岸壁や傾いた街灯も当時其の侭の状態で保存されています
現在の神戸の街並みは震災の影響を感じないぐらい復興してるように
思えます。しかし被災者の心の傷はまだまだ癒し難いでしょうね。
クリスマスローズ♪
蕾が少し大きく成りました。春ですね~
可愛いうさぎさん♪
最近のコメント