韓国・ソウルへの旅♪(その8) 景福宮
景福宮
景福宮は1395年に創建した朝鮮王朝第一の法宮(王の住む宮廷)です。
北には北岳山が、南には正門である光化門があり、その前に広い六曹通り
(今の世宗路)が開かれた漢陽(ソウル)の中心でした。
1592年の文禄の役の際、全焼してしまいました。その後、景福宮は約270年間
復旧されることも無く放置されていたが、1867年に高宗(26代目の王)の
実父(興宣大院君)の主導で再建されました。再建された景福宮には、
約500棟の建物がありました。
景福宮の正門である「光化門」 ヘッテ像
今は光化門の左右に近い距離を置いて座っているヘッデ像ですが、
朝鮮時代には光化門から約80m離れた所にたっていました。
ヘッテは想像上の動物で、正しくない事をした人に飛びかかって
刺し突くいう霊物として知られています。
景福宮を囲む石垣の長さは2.404mに達し、石垣の四方には4つの
大門を作り、1426年(世宗8年)に建春門、(東)光化門(南)、迎秋門(西)、
興礼門 入って直ぐに、案内所があります。
チマチョゴリを着ていくと入場無料となり、中はチマチョゴリの
勤政門 景福宮の正殿である勤政殿の正門として1867年に建てられました。
朝廷と品階石(三道) 勤政殿の庭先、朝廷に敷かれている薄石(石畳)は
日光による眩しさを減らすために、わざと荒く削ってある。
朝廷の真ん中に周辺より少し上がっている道は御道といい、王だけが
通ることができる道でした。御道の左右には臣下たちが階級別に
勤政殿 勤政殿は景福宮の最高殿閣である法殿(正殿)です。
宮廷で最も荘厳な中心建物として王権を象徴し、王の即位式や文武百官
との朝会、外国使節の接見などの国家行事を行った所です。
階段の中央は、鳳凰の彫刻が刻まれてあります。
1395年に建徳されたが、文禄の役で焼失、1867年に再建された。
勤政殿の中央には玉座が安置され、後ろの屏風には「日月五峰図」が
描かれています。現在の1万ウォン紙幣の絵柄としても採用されています。
恩政殿 王の公式的な執務室で、毎朝の報告と会議、国政セミナー
恩政殿
にほんブログ村 ご訪問ありがとうございます。
1クリックの応援がとても嬉しく励みに成ります。いつもありがとうございます
最近のコメント