韓国 慶州への旅♪(その1) 「仏国寺」
韓国南東部の歴史都市・慶州(キョンジュ)。「仏国寺(プルグッサ)」は、
霊山として信仰を集めてきた山の西麓に広がる仏教寺院です。
「三国遺事」によれば、751年に新羅時代の宰相、金大城(キム・デソン)が
建立したというのが有力な創建説です。
境内には新羅仏教芸術の傑作と称えられる7つの国宝が現存し、
韓国の名勝・史跡第1号にも指定されているほか、1995年には
「石窟庵(ソックラム)」とあわせて、ユネスコ世界文化遺産に登録されました。
新羅仏教を代表する寺院であった「仏国寺」ですが、16世紀の文禄・慶長の役で
木造建築の大部分が焼失。朝鮮時代後期には廃仏政策によって深刻な
破損を被り、その後、再建と補改修は繰り返され、1973年に復元工事が
「大雄殿」に通じる「紫霞門(チャハムン)」前にある2段形式の階段が
「青雲橋(チョンウンギョ)」(下段)と「白雲橋(ペグンギョ)」(上段)です。
国宝に指定され、通行は禁止されています。八世紀中期 創建時より
存在していたとされ、橋下の俗世と橋の上にある彼岸世界を繋ぐ役割を
果たしています。橋は約45度の傾斜があり、精巧な技術が伺えます。
上段16段、下段17段の計33段からなりますが、33という数字は
仏教において「未だ釈迦の境地に達していない」ことを意味。橋は悟りへ
達しようと橋はしようとする「希望」の象徴と伝えられています。
大雄殿(釈迦如来の彼岸世界) 釈迦牟尼如来仏を祀った法堂で
大雄殿の中には本尊である釈迦牟尼像が置かれ、その両脇には
多賀塔 四方に石段が設けられた多宝塔は、四角・八角・円形と形の
違う塔身石をひとつの塔に盛り込むなど、韓国の石塔としては特殊な
デザインが特徴自由で斬新な発想が表れた作品です。
寺の創建時に建てられたとみられる貴重な文化財ですが、日本植民地時代
の1920年代中頃に日本によって解体・補修され、その過程で内部の
遺物が行方不明に、また石段部分には、四方に獅子像が置かれていましたが、
3匹は盗まれてしまい現在は1匹しか残っていません。
紫霞門ある楼閣には木魚、泛影楼には法鼓が置かれています
無説殿(ムソルジョン)[仏国寺古今創記]によればこの無説殿は仏国寺の
中でもっとも早く作られた建物であり、僧侶が説法を伝える所で、
毘盧殿 寺の創建時に建立され、その後幾度となく修復が重ねられてきました。
現在の建物は、1973年に元々あった基壇と礎石の上に重建されたものです。
8世紀頃の作品と見られる「毘盧舎那仏坐像(国宝第26号)」が奉安されています
「舎利塔(宝物61号)」 高麗時代前期の作品と推測されますが、華やかで
繊細な彫刻は統一新羅時代の様式を継承しています。 1906年に日本に
持ち出されましたが、1933年に返還され現在の位置に安置されました。
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