年末年始 西日本周遊9日間♪
西日本周遊(その9)
原爆ドーム 石見銀山
原爆ドーム
昭和20年8月6日史上はじめての原子爆弾によって破壊された旧広島県産業奨励館の残骸である。
爆弾はこの建物のほぼ直上約600メートルの空中で爆発した。
その1個の爆弾によって20万を超える人々の生命が失われ半径約2キロメートルに及ぶ市街地が
廃墟と化した。この悲痛な事実を後世に伝え人類の戒めとするため国の内外の平和を願う多数の人々
の寄金によって補強工事を施し、これを永久に保存する。 昭和42年8月6日 広島市 (案内石碑)
原爆の子の像 2歳で被爆し、10年後白血病を発症して短い一生を終えた少女 佐々木禎子さん
(像のモデル)を偲び、また同じように被爆で亡くなった多くの子供たちを慰霊するために全国の
少年少女たちの募金運動で建立されたものです。
広島平和都市記念碑 (原爆死没者慰霊碑)
ここに眠る人々の霊を雨露から守りたい言う気持ちから埴輪の家型に設計された。設計は丹下健三氏
中央の石室の中には、国内外を問わず被爆して亡くなられた原爆死没者の名簿が納められ
毎年関係者によって書き加えられています。
石碑に刻まれた言葉を心に留め、平和への祈りを捧げます。
石見銀山
石見銀山遺跡図
2007年にアジアで初めて世界遺産に登録された坑道跡 規模は529haです。
最盛期には世界の産銀量の約3分の1を占めた日本銀の多くが石見銀山で産出されたものと
考えられています。採掘から精錬までの全てが手作業で行われていました。
龍源寺間歩入り口
正徳5年の開発、 江戸時代の開掘の長さは、600mに及んでいました。
閉山したのは昭和18年といわれ、228年間も間歩(鉱山の堀口)の開発が行われていました。
清水谷製錬所跡 藤田組によって明治28年(1895年)から29年(1896年)までの約1年半の
短期間だけ操業された近代的な製錬所跡
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