カテゴリー「世界遺産」の39件の投稿

韓国 慶州への旅♪(その3) 瞻星台と市場

        Photo  慶州   瞻星台    Photo

 慶州 瞻星台(チョムソンデ)は、新羅時代の善徳女王(在位632~647)の

 在位中に造られた東洋最古の天文観測台です。

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  瞻星台は花崗岩を加工した基壇の上に27段の石段を円筒形の曲線で

 積み上げ、さらにその上に長大石を「井」の字形に重ね天文観測できるように

 成っている。瞻星台は正南側の下から13段と15段の間に四角形の出入り口

 があり、内部に入ることが出来る。この出入り口の下の両側には梯子を

 使って登ることが出来るようになっています。

 規模は下部の直径が5.17mで高さ9m、地台石の1辺の長さは5.35m

 瞻星台は直線と曲線とが見事に調和をなしている安定感のある建築物です。

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 瞻星台の近くには、沢山の古墳があります。

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         Photo   市場   Photo

  旅先の市場は、凄く楽しいです。韓国らしい光景に出会い味わったり

お土産を買ったりとブラブラ散策です。

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 キムチ    沢山の種類がありますね~

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 唐辛子   

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 ニンニクの山積みに吃驚です。

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たまねぎ

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 こちらで、土鍋セットを買いました。

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 韓国海苔巻き キンパ   具沢山で、美味しいです。  

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 アーモンド、カシューナッツ、クルミなどお土産に・・・

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 リヤカーに乗せられた豚、恐る恐るパチリです。

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韓国 慶州への旅♪(その2) 「石窟庵」 

     Photo  慶州  石窟庵 Photo

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  石窟庵は韓国仏教美術を代表する傑作とも言われ、1995年、仏国寺とともに

 ユネスコ世界遺産として登録されました。

  石窟庵は仏国寺と同様に、吐含(トハム)山の中腹に位置します。

 石窟庵という名の通り、切り出した石をドーム型に組んで作られた石窟寺院です。

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 仏像も素晴らしいですが、石窟庵から眺める慶州の景色も圧巻です。

 歴史的観光地としてだけではなく、森林浴、ヒーリングスポットとしても

 注目されています。

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 石窟寺院はインドで作られはじめ、中国を経て韓国へ伝えられました。

 韓国の山は花崗岩が多く掘削が容易でなく、そのため石を積み上げて 

 人工的に石窟を作るようになり、世界的にも唯一な人工石窟が誕生しました。

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 素晴らしい建築技法は、長方形の前室を過ぎると、円形の主室につながる。

 扉道には東西南北を守る四天王があり、円形の主室に入ると壁に複数の

 石仏が左右対称にほり込まれています。ドーム型の天井は360以上の

 平らな石で巧みに築造されています。

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 石窟庵本尊仏は、文化遺産の中でも宗教性と芸術性の面で最も優れた

 作品の一つで、あり、世界の宗教芸術でも名作に数えられています。

 本尊仏1.58mの座台の上に3..26mの仏像がある巨大な規模で

 滑らかな曲線で表現されています。(撮影禁止で案内書の写真です)

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 創建は751(景徳王10)年。当時の宰相、金大城(キムデソン)によって

 始められたといいます。

Image002慶州名物 サンパプ料理

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 次々と並べられる料理の品数に吃驚でした。菜野菜に包んでいただきます。

 珍しく、美味しく旅の気分を味わいました。

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韓国 慶州への旅♪(その1) 「仏国寺」

   Photo  慶州 ・ 仏国寺 Photo

 韓国南東部の歴史都市・慶州(キョンジュ)。「仏国寺(プルグッサ)」は、

 霊山として信仰を集めてきた山の西麓に広がる仏教寺院です。

 「三国遺事」によれば、751年に新羅時代の宰相、金大城(キム・デソン)が

 建立したというのが有力な創建説です。 

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 境内には新羅仏教芸術の傑作と称えられる7つの国宝が現存し、

 韓国の名勝・史跡第1号にも指定されているほか、1995年には

 「石窟庵(ソックラム)」とあわせて、ユネスコ世界文化遺産に登録されました。

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 新羅仏教を代表する寺院であった「仏国寺」ですが、16世紀の文禄・慶長の役で

 木造建築の大部分が焼失。朝鮮時代後期には廃仏政策によって深刻な

 破損を被り、その後、再建と補改修は繰り返され、1973年に復元工事が

 終了、現在に至っています。

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 天王門(チョナンムン)

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 四天王

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 「大雄殿」に通じる「紫霞門(チャハムン)」前にある2段形式の階段が

 「青雲橋(チョンウンギョ)」(下段)と「白雲橋(ペグンギョ)」(上段)です。

 国宝に指定され、通行は禁止されています。八世紀中期 創建時より

 存在していたとされ、橋下の俗世と橋の上にある彼岸世界を繋ぐ役割を

 果たしています。橋は約45度の傾斜があり、精巧な技術が伺えます。

 上段16段、下段17段の計33段からなりますが、33という数字は

 仏教において「未だ釈迦の境地に達していない」ことを意味。橋は悟りへ

 達しようと橋はしようとする「希望」の象徴と伝えられています。

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 大雄殿(釈迦如来の彼岸世界) 釈迦牟尼如来仏を祀った法堂で

 境内の中心になる建物

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 大雄殿の中には本尊である釈迦牟尼像が置かれ、その両脇には

 文殊菩薩、普賢菩薩の像が並んでいます。

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 多賀塔 四方に石段が設けられた多宝塔は、四角・八角・円形と形の

 違う塔身石をひとつの塔に盛り込むなど、韓国の石塔としては特殊な

 デザインが特徴自由で斬新な発想が表れた作品です。

 寺の創建時に建てられたとみられる貴重な文化財ですが、日本植民地時代

 の1920年代中頃に日本によって解体・補修され、その過程で内部の

 遺物が行方不明に、また石段部分には、四方に獅子像が置かれていましたが、

  3匹は盗まれてしまい現在は1匹しか残っていません。

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 紫霞門ある楼閣には木魚、泛影楼には法鼓が置かれています

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無説殿(ムソルジョン)[仏国寺古今創記]によればこの無説殿は仏国寺の

中でもっとも早く作られた建物であり、僧侶が説法を伝える所で、

 現在講堂として仏教の講義が行われている。

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毘盧殿  寺の創建時に建立され、その後幾度となく修復が重ねられてきました。

  現在の建物は、1973年に元々あった基壇と礎石の上に重建されたものです。

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8世紀頃の作品と見られる「毘盧舎那仏坐像(国宝第26号)」が奉安されています

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観音殿  慈悲の菩薩である観世音菩薩を祀った法堂

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 「舎利塔(宝物61号)」 高麗時代前期の作品と推測されますが、華やかで

 繊細な彫刻は統一新羅時代の様式を継承しています。 1906年に日本に

 持ち出されましたが、1933年に返還され現在の位置に安置されました。


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長崎へ♪ (グラバー園・大浦天主堂)

     1    長崎    2

 グラバー園

 古くから国際貿易港として栄え、日本近代文化の礎を築いた長崎幕府より

 正式に認められた外国人の居留地、当時の区画の中にあるグラバー園

 当時に思いを馳せながら雨模様のお天気の中、石畳の道をたどりながら

 グラバー園散策です。 

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 旧グラバー住宅(国指定重要文化財・明治日本の産業革命遺産)

 文久3年(1863年)に建てられた現存する日本最古の木造洋風建築

 建設当初はL字型の平屋で建物の周囲がベランダで囲まれた

 バンガロー風の建物でした。

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 外観は日本瓦で覆われ、壁は日本の伝統的な土壁です。

 室内は典型的な西洋風の造りに成っています。

  居住していたのは、トーマス・ブレーク・グラバー

 安政6(1859)年の「安政の開港」と同時に来日し、グラバー商会を設立

 造船・採炭・製茶など幅広い事業を行ったことで知られます。

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 旧三菱第2ドッグハウス

 船を修理している間、乗組員たちが宿泊していた施設

 明治29年建築で、典型的な西洋風建築です。

 三菱重工長崎造船所の第2ドックの直ぐ側に建てられていました。 

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 旧長崎地方裁判所長官舎

 明治16年頃、長崎市上町に建てられました。居留地外に建てられた

 洋風の官庁建築として長崎で唯一残る貴重な建物です。

 外部は洋風ですが、内部は日本人の生活様式に合わせた造りに成っています。

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 旧リンガー住宅(国指定重要文化財)

 慶応3年頃に建てられた三方をベランダで囲まれたバンガロー風の建築。

 ベランダの床石にはウラジオストックから運んだ御影石、ベランダの屋根を

 支える角柱には天草の石を使用、木と石が調和した珍しい木骨石造りです。

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 この建物にはイギリス人のフレデリック・リンガーが住んでいました。

 リンガーは、慶応元(1865)年に来日し、グラバー商会に勤務

 その後、イギリス人のホーム氏と「ホーム・リンガー商会」を設立し、製茶・

 製粉・石油備蓄・発電などの事業を手掛けます。

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 旧オルト住宅(国指定重要文化財)

 元治元年ごろに建てられた石造り洋館.  天草出身の職人・小山秀之進が

 施工した。ポーチ横にある日本最古・最大級のモッコウバラが建物を覆う姿

 は素晴らしく、庭には噴水も有りメルヘンの世界です。バラの咲く頃に出かけて

 見たいですね。 イギリス人、ウィリアム・ジョン・オルトの住宅ですが、

 住んでいたのは慶応元(1865)年~明治元(1868)年の3年間のみでした。

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 水道共用栓    貯水を使用しているので、今も水が出ます。

 随分と久し振りのグラバー園です。1万坪を超える敷地に、日本初や

 日本最古級の建物や物が沢山で興味深いひと時でした。

 大浦天主堂

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 1865年に建立されたカトリック教会で、日本最古の現存するキリスト教

 建築物。  正式名は、日本二十六聖殉教者堂

 中は撮影禁止です。お祈りの場であり、当然なのかもしれませんね。 

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 ←外観は補修工事のため、よく見ることは出来ませんでした。

 →夜間、ライトアップされた大浦天主堂も素敵です。


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イタリアへの旅♪ カターニア(その3) 象さんの街

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 カターニアの街中では、あちこちに「象」を見かけます。

 「象」はカターニアのシンボルです。 (写真はクリックで拡大します)

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 ドゥオーモ広場に、街のシンボル象の噴水があります。

 高さ3.66mで、赤色花崗岩で出来ています。

 象の上にオベリスク(古代エジプト期に製作され、神殿などに立てられた

 記念碑の一種)が載っています。

 オベリスクの頭頂部には椰子(しゅろ)とオリーブの葉で取り囲まれた球に

 「MSSHDEPL」と書かれ、その上に十字があります。 

 象はローマ時代の溶岩を使い、オベリスクはエジプトから運ばれました。 

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どうしてシンボルが「象」なのか?いろいろ伝説は有るようですが・・・

大昔ここに小象が住んでいて獰猛な動物を追い払うことで、カターニアの

住民を守ったという伝説

又、メソポタミア文明が栄えた頃、バビロン付近にあったピロという国の王は 

シチリア島を制圧するために自ら軍隊を率いてカターニアに攻め込んできました。 

カターニアを滅ぼし自分の国の住民を住まわせるつもりだったそうです。

当時カターニアにはエリオドーロという魔法使いがいました。

彼はピロの王がアフリカゾウを神聖なるものと崇拝している事を知っていたので、 

攻め込んでも象がいれば、きっと殺さないだろうと考えました。

そこで魔法使いエリオロードはカターニアの市民全てを象に変えてしまいました。

エリオドーロの魔法のおかげで、カターニアはピロの攻撃を免れました。 

カターニアの市民たちは彼の功績を称えるために,象を市のシンボル

にしたとの伝説・・・

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  1736年ジョヴァン・バッティスタ・ヴァッカリーニがこの像を作りました。

 南と北の両側から噴き出る水はカターニアの2つの川(シメト川、アメン川)を

 再現していたそうですが、その後何度か作り変えられ1998年に現在の様な

 3段の石段に変えられています。この石段では、大勢の方が寛いでおられます。

 写真は夜間の象の噴水です。

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 13世紀以来、象はカターニアのシンボルとされており、市の紋章

 大学の微章、地元のサッカーチーム「カルチョ・カターニア」のマーク

 にも使用されています。

 こちらは市庁舎ですが、窓の周りは小さな象のレリーフがあり、

 「象の宮殿」と呼ばれ親しまれています。

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 こちらは大勢の観光客が行きかう通りですが、象さんがいます。

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イタリアへの旅♪ カターニア(その2) ドゥオーモ(サンタ・アガタ大聖堂)

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         ドゥオーモ(サンタ・アガタ大聖堂)

 さまざまな人類が集まっているカターニアは、シチリアでパレルモに

 次ぐ2番目に人口が多く、経済活動が盛んな街です。

 ヨーロッパ最大の活火山エトナ山を臨み、数回の噴火を繰り返した活火山と

 ともに歩んできた街としても有名です。

 カターニア観光、先ずはドゥオーモへと出かけました。

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 1078年から1093年にかけてロジェール伯爵により建立されました。

 17世紀の大地震で大きな被害を受け、後陣のみ建造当初の姿を留め

 現在の大聖堂は、その後バロック様式にて再建設されたものです。

 カターニアの守護聖人アガタに寄贈されています。 

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 ローマ時代の浴場跡に建てられた大聖堂で、浴場跡が残されております。

 入り口も聖堂内にあり見学したいと思いますが、タイミングが悪く5回

 訪れているのに一度も見学したことが有りません。見てみたいですね。

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18世紀には当時の有名な建築家ジョヴァン・バッティスタ・ヴァッカリーニ

によりファサードが再建された。創建当時のデザインを残し、高さ、円柱、

聖人像などが華やかで素晴らしい大聖堂です。

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  大聖堂内部   聖アガタの祭壇

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  →エトナ山噴火を描いたフレスコ画

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   教会内には、作曲家ヴィンチェンツォ・ベッリーニの墓があります。

 ヴィンチェンツォ・ベッリーニは、(1801年~1835年)はカターニア生まれ

 パリ近郊で没したクラシック音楽の作曲家で、主としてオペラ作曲家として有名です。

 ロッシーニやドニゼッティと共に19世紀前半のイタリアオペラ界を代表する天才。

 特にベッリーニについてはショパン、ベルリオーズ、ワーグナーらの賞賛と

 愛情の言葉を得ている事で知られている。父親も祖父も音楽家であり、

 音楽を学ぶ前から作曲を始めたという神童であったそうです。(ネットより抜粋)

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 夜の大聖堂です。昼間と違った厳かな大聖堂を感じます。

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世界遺産への旅♪ギリシア パルテノン神殿

     Image003   パルテノン神殿  Image003

225359   ギリシア観光は、ホテル直ぐ近くの

  シンタグマ広場から出ている

  乗り降り自由の遊覧バス(18ユーロ)

  で出かける事にしました。このバスは

  日本語の説明が聞けるのが嬉しいですね。

  先ずはアクアポリス遺跡へ

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  ギリシア古代遺跡のハイライトは、アテネのアクロポリスです。

  アクロポリスとは「高い丘の上の都市」と言う意味で、古代には神殿が

  建てられた聖域、さらにポリス(都市国家)防衛の要塞として二重の

  役割を果たしていたそうです。

  イロド・アティコス音楽堂

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   アッティカの大富豪イロド・アティコスがアテネ市に寄贈したもので、

   161年に建築されました。約6000人の収容可能な音楽堂です。

   観客席は最近修復されたもので、コンサート、オペラ、古典劇などが

   現在も上演されています。日本の芸術家達の公演も行われたそうです。

   舞台は35.5m×6m、 全体の直径80mです。

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                 プロピレア(前門)

  パルテノン神殿

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  ブレーの門、プロピレア(前門)を潜ると古代アテネの栄光を象徴する

  パルテノン神殿がドリア式石柱に囲まれ雄大な姿で建っています。

  横31m,縦70mで建物の周囲約160mに46本の柱が有ります。

  1本の柱は10mの高さで下部の直径は約2mもあります。

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  民主政治を築いた名将ペリクレスのもとカリクラスが設計、フェイディアス

  が総指揮を取り、15年の歳月を費やして紀元前432年に完成しました。

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 建てられた当時は、全体が彫刻像や浮き彫りなどで飾られた芸術作品で

 レリーフは神話や古代歴史の場面をテーマにしたもので、柱頭と屋根の

 間のメトープ(額の意)部分にはめられていました。

 周囲160mに90枚以上のレリーフが有ったそうです。現在はアクロポリス

 博物館や大英博物館に収められており、見れるのは模作です(参考本より抜粋)

  エレクティオン

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 繊細優美なエレクティオンは紀元前408年完成、北側にイオニア式石柱

 南側にはカリアティデスと呼ばれる6人の少女像を柱とした柱廊が

 張り出しています。伝説上の王エレクテウスの館とされ、ゼウスやアテナ、

 ポセイドンなどの複数の祭神を合祀しました。

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世界遺産への旅♪マテーラ(その3)

           2010

         世界遺産   マテーラ   レストラン&散策

   マテーラ「サッシ」は、1993年にユネスコ世界遺産と登録されました。

   旧市街をブラブラ散策です。マテーラ(その1)(その2)もご覧下さいね。

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   電車を降りて、ヴィットリオ・ヴェネト広場まで歩いてきました。

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            旧アヌンツィアター修道院

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     石畳をテクテクて登ります。暑くてしんどいで~す( ̄Д ̄;;

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                 ドゥオーモ

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   旧市街                     サッシ

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  旧セディーレ宮殿

 素敵なレストラン

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  マテーラでの昼食はヴィットリオ・ヴェネト広場近くの建物の裏手にある  

  「ダ・マリオ」へ出かけました。こちらは本にも紹介されております。本当は

  別の所で頂きたかったのですが、探す時間も無くこちらへと成りました。

  お店の外見は今一でしたが、中は広く地元の方にも評判のお店でした

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  マテーラの前菜  モッツァレッラ (フィオリ ・ ディ ・ ラテ)3種類のチーズと

  生ハムは新鮮で自慢の一品だそうですが、凄く美味しくて大満足でした。

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  料理名は忘れました。 ホーレンソウのお料理ですが、イタリアでは

  ホーレンソウは確り煮込んでありました。レモンをたっぷりかけて・・・

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  ペペ入りトマトソースのスパゲティ   とっても美味しくて思い出しては

  又食べたいなぁ~と思っています。

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  オレキエッティのオーブン焼き  熱々、沢山でお腹一杯になりました。 

   さすがの私もこの後は、カフェだけで終わりです  

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世界遺産への旅♪マテーラ(その2)

          2010

           世界遺産    マテーラ(教会)

   マテーラは標高401mに位置し、サッシ地区チビタにある大聖堂は

   町一番の高台にあり町の到る所から見えます。

   坂道を登り、階段を上がりながら上へ上へと向かいました。

   たどり着いたら、何と工事中です。遥々日本から来たのに・・・残念!

  ドゥオーモ(大聖堂)   

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  典型的なプーリア・ロマネスク様式で13世紀後半の建造です。

  サッソ・バリサーノとサッソ・カヴェオーゾ両地区の間に位置します。

  このドゥオーモ広場からの眺めは素晴らしいです。

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  人生の輪廻を表す16に区切られた大きなバラ窓を配したファサードが

  とっても素敵で印象的でした。

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 ←奥の方に見える鐘楼は高さ52mです

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  工事中の囲いの隙間からパチリです。

  中は広く豪華な金の装飾が圧巻で、建造当初のフレスコ画も残って

  いるそうです。側まで来ているのに、見れないとは・・・

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       細かく刻まれたレリーフが素晴らしいですね。

 サン・フランチェスコ・ダッシジ教会

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  教会は1255年から1277年の間に建築され、15世紀から16世紀に

  かけて何度も増改築が行われました。

  1823年の大地震などの天災や人災にも遭いますが、今は修復され

    創建当時の外観に甦っています。

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   15世紀の8枚の祭壇画があります。

   花びらの形のスタッコ細工が壁一面に有り、とっても綺麗です。

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 サン・ジョヴァンニ・バッティスタ教会

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  町の教会の中でも重要な教会の一つだそうです。

  1223年完成のプーリア・ロマネスク様式です。

  長い年月を経ているのに綺麗に残されていますね。

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  熱心にお祈りされている親子連れがいらっしゃいました。

  お祈りの場で、写真撮っているのは気兼ねですね。 

  教会はまだ沢山有りました。、
   長い歴史の中での教会や城、神社などを学んだら世界史、日本史
   ともに疎い私も興味深く学んでいけるような気もしました。 

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世界遺産への旅♪マテーラ(その1)

         2010

           世界遺産  マテーラ (サッシ)

  マテーラは長靴の形をしたイタリア半島のくるぶしに位置します。

  その峡谷の絶壁には、人が何年もかけて掘った沢山の洞窟住居群があり

  その独特な景観や複雑な町の構造は少し寂しげでも有り魅了されます。

  マテーラ「サッシ」は、1993年にユネスコ世界遺産と登録されました。

  サッシ(岩壁を意味するサッソの複数形)は、洞窟住宅です。

  「サッシ」は、ドゥオーモを鋏みサッソ・バリサーノとサッソ・カヴェオーソ

  に分かれています。

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  サッシはいつ頃から作られたのか不明ですが、8世紀から13世紀にかけて

  東方からイスラム勢力を逃れた修道僧が住みつき、130以上の洞窟住居を

  構えていたといわれています。

  マテーラの周囲からは、旧石器時代の出土品も発見されているため

  かなり古くから人々が住んでいたと考えられています。

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   サッシは南イタリアの貧困の象徴とされ、「国の恥」と呼ばれる存在でした。

 サッシは岩に作られた町なので、上下水道を設置するのが難しく

 1952年衛生状態を定めた法律に適合する事が出来ず住民は強制退去

 されてしまいました。世界遺産登録前後して一部の家に住民が戻り

  今はレストランやホテルもあります。

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               洞窟教会

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  マテーラは映画「パッション」のロケ地としても知られています。

  メルギブソンが構想12年、私財を制作費に充て、イエス、キリストの

  最後の12時間を出来る限り史実に従って描いたという作品だそうですが

  私はまだ観ていません。

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                旧市街地

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